気まぐれ日記 2019年4月

2019年3月はここ


4月1日(月)「新元号・・・の風さん」
 今日の最大のトピックスは新元号だろう。平成が決まったときは、まだ現役だったし、個人的には、家族が増え、マイホームを考えている時期でもあった。そして、作家への道が少しずつ見えて来た時だったので、超多忙で、正直言って、あまり関心がなかった。今回は、当時に比べたら、気にしてもよい状態だったが、結果としては、冷静に見ていた。
 令和に決まったと聞いた第一印象は、画数が少なくて良かったという、実用面の感想がすぐ頭に起きた。次は、優しい音感だった。濁音は論外として、摩擦音(か行やさ行など)もクールな感じで、これからの時代にそぐわない気がする。グローバル化とIT化が一層進展していく時代にこそ、人間と人間のつながりが重要になるし、またそうでなければならない。令和は、それを暗示する音感を持っているような気がした。
 典拠が万葉集ということで、日本らしさが強調されたのも良かった。これを機に、日本の古典を研究する人や、関心を持つ人が増えたらいいなと思う。世界中、それぞれの国がその国の特徴を持っている。日本も日本の特徴、良い特徴を継承していくべきである。
 新元号が決まって安心したので、先ず、裏の草刈りに出動した。続いて、2階の片付け。どちらも毎日少しずつやっていくことだ。
 遅い昼食に、インスタントラーメンを作って食べた後は、ルーチンをこなし、昨日に続いて、30分単位の仕事をした。
 階下からホットタイムの呼び出しがかかり、その後、元気に執筆に取り組んだ。
 悩んでいたところを、やっと突破することができた。

4月2日(火)「ちび助とシンクロ?・・・の風さん」
 朝食後、裏の草刈りに出動。隣家との境界が一番問題なので、そこを重点的に(今回が2度目)やったところで終了。
 続けて、2階の片付け。寝室は雑巾がけをしただけで、すぐ長男の部屋へ。かつての自分の部屋を見ているようで胸が痛む。ま、とにかくやるしかない。もうタイムリミットは過ぎたのだ。この家は、余生を過ごせる状態に早く持って行かねば。あ、終活ではないよ。
 卵かけご飯でさっと昼食を終えて、ルーチンに。これもすばやく終えて、セミナーのテキスト作成の続き。キッチンタイマー方式の30分作業だ。ここまで頑張り過ぎたのだろうか。どっと疲労が出て来て作業が中断。ウトウトする。
 夕方のホットタイムになったので、階下へ降りた。コーヒーを飲んで少し元気が出た。
 今日は3日に1度のちび助の点滴の日だ。次女に留守番させてワイフとアクアで出かけた。昨日、一昨日とちび助は食欲があったので、安心だったが、今日はちょっと元気がない。寒さのせいもあるかな。全国的に降雪もあって(大曲の友人のFBに雪の写真が出ていた)、とにかく寒い。
 今日は主治医が休みだったので、他の医師に点滴をしてもらった。すぐ効果が出て欲しかったが、帰宅してもあまり変化なし。
 晩ご飯の後、書斎へ入り、執筆の続き。ちび助が元気がないとこっちも元気が出ない(言い訳か)。
 入浴前に、書評用に選定した本を読んでみた。翻訳なので文章が分かりにくいが、内容は面白い。これで行こう、と覚悟を決めた。

4月3日(水)「終日めまい・・・の風さん」
 相変わらず冷え込んでいる。そのせいではないと思うけれど、朝からめまいに襲われた。これはストレスが原因だろう。現役時代も終盤になって気力、体力が負けるとたまに起きた。無理せず少しずつでもやっていくしかない。
 朝食後、屋外作業に出動。昨日雑草を刈ったところへ除草剤を散布した。昨年も成功しているので、大きい。体力が十分あれば、新たなゾーンの草刈りをするのだが、今日はここでおしまい。
 続いて、2階の片付け。これも、今日は長男の部屋だけにする。仕事量は膨大にあるが、1時間かけずに終了。ルーチンもさっと終了。
 卵かけご飯の昼食後、テキスト作成に取り掛かった。依然としてめまいが消えないが、慣れた作業なので何とかやれる。今日で決着をつけることにした。こういった作業をしていると、創造的な仕事というのが、いかに心身にストレスを与えるか納得してしまう。芸能人がドラッグに手をつけるのも分かる気がする。いや、分かってはいけない(笑)。
 見事に完成した。何となく得した気分。いいぞ。
 夕方の恒例のホットタイム後も、まだめまいは治らない。
 こうなったら、週末の秋田行きの準備をしてしまおう。先ず、不足していた名刺を追加印刷した。頼まれていた色紙を4枚書いた。いやあ、色紙はやっぱり苦手だ。右手が不自由だし、たとえ不自由でなくても字は下手だし、そもそも私には不釣り合いというか、分不相応という感じだ。あと、念のために持って行くサイン本も用意した。
 晩ご飯後は、 hairdye をしながら、書評用の本を少しだけ読んだ。これは秋田へ持って行って、帰宅までに読了しよう。
 午前2時、就寝する時、やっとめまいが消えたような気がした。

4月4日(木)「青空がうらめしい・・・の風さん」
 しっかり寝て起床。天気は好い。無理しないというか、少し負荷を減らそう。
 朝食後、屋外作業はやめて、長男の部屋の片付けに着手。今日までに、ある程度の目途をつけるつもりだった。ちょっと無理そう。
 しかし、これまでの積み上げがようやく明らかな変化を生んだ。狙い通り。今日までで、燃えるゴミとミックスペーパーのそれぞれ2つずつゴミ袋を出すことができた。
 昼食はインスタントラーメン。今のところめまいは出ていないが、疲労感は大きい。
 仮眠することにした。睡眠不足を補うのではない。肉体の休養である。窓の外の青空がうらめしい。
 夕方のホットタイムでレギュラーコーヒーを飲んだので、ようやく元気が出て来た。
 晩ご飯まで執筆をした。
 晩ご飯後はゆっくりとし、午前零時前からまた復活した。
 結局、午前3時過ぎまで執筆し、就寝は午前4時を過ぎた。やれる時にやっておくしかない。

4月5日(金)「風雨をついて着陸・・・の風さん」
 8時起床だから、睡眠時間は4時間弱。眠いぜ。
 9時にワイフと一緒にちび助を病院へ連れて行った。食欲が不安定というか、好き嫌いがあるというか、日本語で会話できないので(当たり前だが)、ちび助の状況がよく分からない。3日前と体重に変化はなかった。消化器系には問題はなさそうなので、たくさん食べて体力をつければ、もっと元気になれそうな気がするのだが……。
 11時過ぎに帰宅できたので、ルーチン雑務をこなした。いつもそうだが、旅行に出かける前はバタバタしている。慣れているはずなのに。
 これもいつものパターンだが、ワイフのアクアでセントレアへ。送迎ゾーンで、私は降りて、ワイフが運転して帰宅する。
 これまで秋田旅行は3泊4日が標準だったが、今回は2泊3日の短縮バージョンである。
 セントレアの土産物売り場で友だち用のお土産をまとめ買いした。たくさんの友だちと会うので、ある程度の個数を持って行かないと、上げる物がなくなってしまうので、ちょっと気を使う場面だ(笑)。すぐに手荷物検査を受けて、待合室へ向かった。このへんも慣れているというか、セキュリティチェックで引っかからないように神経を使い、簡単にパス。
 何と、目的地の秋田空港が風が強く、いちおう出発はするが、着陸できない場合は、引き返すか、仙台空港へ向かうというアナウンスが何度も流れた。風に弱いのはセントレアなので、何となく不思議な感じがする。
 搭乗したら、席がガラガラだった。キャンセルした人が多かったのかも。私は眠かったので、今から睡眠補給だ。
 確かに着陸時は揺れた。ところが、ずっとうつらうつらしていたせいか、普段よりも快適な着陸だった(いつも耳が痛くなるのだが、ならなかった)。
 外へ出ると風雨が強い。これなら着陸できないこともあるか。
 レンタカーを借りて、秋田の定宿へ向かった。ルーチンのように慣れた行動だ。
 秋田市内の風雨は弱かったので、今夜の高校のミニ同級会会場へは傘をして徒歩で向かうことにした。
 会場に早く突き過ぎたので、向かいのジャズ喫茶に入った。客は私一人で、自動演奏付きピアノの豪華なステレオで、ジャズを満喫した。こんな豊かな気分に浸れたのは久しぶりのような気がする。前途は明るいかも。
 毎回、新しいメンバーが加わる同級会だが、今回は、針灸の先生が参加してくれた。高校時代は一度も同じクラスになったことはないが、今夜で完璧に同窓会メンバーとして親しくなれた。そして、私は、特にお灸の原理について基本的な知識を授けられた。感謝である。
 2次会は向かいのジャズ喫茶が、生演奏をやっていて満席だったので、別のカフェに行って、また歓談した。
 帰りは雨も上がっていて徒歩は楽だったが、ちょっと寒かったな。

4月6日(土)「中学卒業50周年同窓会・・・の風さん」
 定宿なので、慣れた感じで起床。朝食も、慣れた感じでチョイスして、満腹にならない程度に終了。余裕しゃくしゃくでチェックアウトした。今日は、風はまだ強いが、晴天だ。
 レンタカーのナビをセットして、いざ出陣(笑)。今回は記念ということで、駐車料金が無料だったのはうれしかった。
 由利本荘市へ向かう。高速道路を通るルートだが、半分以上は無料区間だ。今夜の宿も何回目かの利用で、定宿のようになってきている。そこのレストランでランチを兼ねたミニ同窓会からスタート。今日は長丁場だ。約2時間、たっぷり歓談できた。自宅で頑張って作った色紙を照れながらプレゼントしたのだが、喜んでもらえて嬉しかった。これで、今回の目的を半分くらい達成した気分。
 ここでハプニング発生。サイングッズ(サインペンとかハンコ)を持参したつもりだったのに、見当たらないのだ。こういう時に気になって仕方ない。先ず、秋田の定宿に電話して忘れ物がなかった確認した。なかった、とのこと。次に、昨夜のミニ同級会の会場になった飲み屋。ここにもなかった。最後は、自宅へ電話し、ワイフに書斎などを探し回ってもらったら、机の横に落ちていたとのこと。全く記憶がない。大ボケだ。
 時刻になったので、ホテルにチェックインし、中学校の卒業50周年記念同窓会会場まで送ってもらった。会場は温泉で、温泉に入ったらどうかという楽しい誘いがあったのだが、ちょっと落ち着かなくて、入浴しなかった。
 卒業生は130人だった。二人の先生を含めて50人近い出席者があり、まずは盛会といえる。皆同い年のはずだが、見た目、かなり年齢差があるように見えるのは、色々な理由からだろう。それにしても若そうに見える人は本当に若々しい。
 5年前の還暦同窓会の時もそうだったが、中学校時代にあまり話さなかった友だちと親しく話せるようになったのは、とても嬉しい。人間、長生きすると、人格がしっかり形成されて、妙なこだわりがなくなるからだろう。
 少しずつ人数は減って行ったが、2次会、3次会にも参加した。いずれもスナックだった。4次会には、いつもの同級生が経営しているスナックKへ行こうという話があったが、肝心の同級生のママさんが、今夜は御機嫌で酔っ払っている。これでは店は開けられないのでは? 私は、さすがに疲労を感じたので、午前零時までにホテルに戻った。
 日中できなかったスマホゲームをまとめてやったので、就寝が遅くなってしまった。

4月7日(日)「帰宅したら徹夜・・・の風さん」
 今回の秋田の旅は、1泊少ない今日が最終日。でも、スケジュールはまだいっぱい。
 目覚ましで必死に起きて、最上階の朝食レストランに行った。今日も食べ過ぎないように気を付けた。
 睡眠不足だが、予定通りに時刻にチェックアウトした。今日会いに行く友だちへのお土産がなくなってしまったので、コンビニで日本酒を買った。秋田の酒だが、若干地域が違うからいいだろう(笑)。
 無料の高速道路をひた走る。昨日より風はいくらかおさまった。それぞれの土地に思い出があって、秋田県内でも移動するときに寂しさを覚えるのは年をとったせいか。
 友人の提案で、秋田空港で早くレンタカーを返却した。待っていてくれた友人のクルマで五城目町へ向かった。雨がぽつぽつ降りだした。
 有名な朝市の通りを歩いた先に古本屋がある。そこで47年ぶりに店主をやっている同級生と再会した。卒業以来ということだ。話すことはいっぱいあるので、話題はアットランダムだ。五城目に住んでいる同級生も二人来てくれた。
 近所に福禄寿ブランドの酒蔵があり、カフェでコーヒーを飲んだ後、酒蔵を見学した。社長が出て来てくれたが、秋高の先輩だ。名古屋で一度お目にかかっている。拙著をお送りしたので、覚えていてくれた。先輩はありがたい。
 皆で昼食にした後、古本屋に戻り、私は本を物色した。欲しい本がたくさんあるが、2冊だけ購入した。おまけに1冊もらえた。次回は五城目で同級会をやろうぜと話して帰ることになった。
 友人に秋田空港まで送ってもらったが、雨は上がって、空も気分も爽快になった。
 帰りの便ではまた睡眠補給に努めた。おかげで、降下時の耳の痛みがなかった。
 迎えに来てくれたワイフと夕食を食べてから帰宅した。ちび助は元気だった。
 普通なら、今夜は早めに就寝して、旅の疲れをとるところだが、執筆が遅れている私は、書斎へ直行した。
 行けるところまで行こうと気合を入れて、執筆の続きを再開。
 そのまま徹夜態勢で、午前5時ころに中間報告できる原稿ができたので、出版社へ送信し、入浴後、就寝したのは午前6時だった。我ながらタフだな、と思うが、それだけ追い詰められていたということだ。

4月8日(月)「雑務でへとへと・・・の風さん」
 執筆だけでなく、雑務もたくさんたまっていたので、午前10時半ころ起床。天気は好い。ワイフは外出していない。
 トーストで朝食(?)にした後、風呂掃除。月に1回のユニットバスを分解して。
 ホームセンター、ドラッグストアに行ってまとめ買い。帰りにATMで現金をおろした。
 帰宅してルーチンを少しだけやるのが精一杯だった。
 ワイフが帰宅してすぐちび助を病院へ連れて行った。3日に1回の点滴はまだ当分続きそうだ。命には代えられない。
 帰宅してすぐ浴室のカビ防止燻蒸処理。これは2か月に1回だ。そして遅い晩御飯。
 食後はもうへとへとで、寝るしかなかった。が、実は、書評を書くための本を読了できておらず、ベッドの中で少し読んだ。
 その後、爆睡。

4月9日(火)「テキストの仕上げ・・・の風さん」
 初めて児童書が模擬試験問題に採用される。実際の中学入試問題に出たそうで、それを模擬試験問題にするとのこと。国語の問題に使えるということは、私にとっては正統派の評価を得たことと思えて、とてもうれしい。承諾書を投函するため、朝食後、ポストまで散歩がてら行ってきた。いつも遭遇する猫が今日は一匹も見当たらなかった。
 来週のセミナーのテキスト原稿のリファインを、事務局と相談しながらおこなった。内容的な問題ではなく、ほとんど見栄えの話。受講生からすれば、テキストは購入する商品なので、小さな瑕疵も価値を落とす恐れがある。修正は得意なので、ほぼ完ぺきに仕上げることができた。
 部屋の片付けの第一回目の大詰めが近付いている。木曜日に町の電器屋さんが来るので、それに耐えられる状態にしなければならない。寝室の私担当分は先週そのレベルに到達している。今日は、長男の部屋をそのレベルにしなければならない。
 かなり時間がかかったが、何とか達成できた。残った時間はワイフの担当だ。
 ちょっと重い雑務をしたために、また疲れてしまい、その後は開店休業状態になった。

4月10日(水)「念願の友人来宅・・・の風さん」
 現役時代にほったらかしにしている間に、自宅内のモノが飽和状態になった。退社して早5年。こつこつと片付けをしながら、リフォームも行ってきた。昨年、やっと私が目指す「友人を呼べる家」に近付いてきた。その成果が夏のバーベキューとなった。
 その後も、この執念の活動は継続中で、今日は長年の会社の同僚夫妻を招くことになった。
 午前中にいつもはしていない自分の書斎の片付けを少しして、午後、夫妻の到着を待った。
 ワイフも顔見知りなので、楽しくおもてなしができた。私の書斎とワイフの工房を案内し、話題はいつまでも尽きなかった。
 実は、このところ連日花粉症がひどい。毎朝、抗ヒスタミン剤を服用していて、その副作用でぐったりしている。
 日中、何らかの行動をすると、もうそれだけでヘトヘトだ。
 夜は、締め切りが近付いている書評原稿の準備だけで閉店時刻となった。

4月11日(木)「書評も終了・・・の風さん」
 午前中に町の電器屋さんが来てくれた。エアコンを2台更新するための下見である。1台は寝室で、昨年の外壁塗装直後に壊れたため、熱い夏、寒い冬を過ごすことになってしまった(たまにはエアコンのない生活を実感する良い機会にはなったが)。もう1台は長男の部屋。配管が破損しているらしく水がオーバーフローする。昨年の配管角度調整だけでは解決しなかった。エアコンは本体と配管と室外機がセットだし、設置から20年以上経過しているので、更新することにしたのだ。
 しかし、その前に、それぞれの部屋の片付けが大変だった。今日までに、下見だけはできるようにしたのだが、それでも大変だった。とにかく、今日の下見を無事に迎えることができて、私は満足である。下見の結果、GW前に工事は完了できるとのことで、これも安心した。新調した配管周囲の再塗装は、GW後、なるべく早くやってもらおう。
 続いて、1階のトイレの修理に業者に来てもらった。ほぼ全自動トイレなので、うっかり手を出すと、機械の設定が狂ってしまう。今回の不具合もどうやらそれらしい。公共の場にこういったほぼ全自動トイレを設置すると、こういった故障は起きがちとのことだった。保証期間内だったので、修理は無償で、これもラッキーだった。これからは、もっと慎重に使用しなければならない。
 書評原稿を書くため、徹底した調査をした。翻訳物なので、原書の情報を入手したのだ。それによって、著者が女性であることを初めて知った(笑)。名前と巻末の紹介記事だけでは性別は分からなかったのだ。ちなみに、翻訳の文章で理解できない部分がいくつかあったので、原書は既に発注してある。書評の脱稿までには入手できないが、完璧主義者の私としては、気になることは解決しておきたい。
 夕方からまたちび助の点滴に出かけた。言葉が通じないので、イマイチ正確な症状を把握することができない。それでも、ここ数日は食欲があり、体重が微増していた。この調子で食べて体力をつければ、さらによくなるような気がするのだが。
 晩ご飯後、書評原稿の執筆に取り組んだ。準備が万端だったので、3時間で完了した。参考資料も用意して、すべて出版社へ送付した。
 就寝は午前2時。上々吉だな。

4月12日(金)「クリニックと疲労・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送るため早起きしたので、予定より1週間遅れのクリニックへ行った。
 今日も花粉症が朝からひどいのは、寝不足のせいもあるだろう。
 診察開始時刻の前に着いた。これなら比較的早く終わるかも。待っている間は、ツムツムをやっていればよいのだ(ただしハートがあるだけ)。
 約1時間待って順番が回って来た。その後、薬と会計まで終えて、2時間で終わったのは、まずまず。それにしてもちび助の治療費は納得していても、自分の病院代はとてももったいないと思う。健康な生活をすれば、病院代は減るはずなのに、それができないからだ。腹立たしい。
 昼食後、長男の部屋の片付けに取り掛かった。実際に工事をするときは、ベッドを移動してほしいと言われた。実は、ベッドの下が荷物で一杯だった。今日は半分くらい取り除いた。まるで遺跡の発掘作業のようで、ゴミだけでなく宝物も出てくる(笑)。
 今日は、たまっていたメールをまとめて送信した。
 昨夜送った書評原稿がまずまずの出来だったので、それでゲラを作ってもらうことになった。修正は来週。
 疲れたので昼寝。晩ご飯後も、疲労と抗ヒスタミン剤の副作用で元気が出ず、今夜は早々と就寝。

4月13日(土)「戻れ日常!・・・の風さん」
 そろそろ日常に戻らねばならない。最大の生涯は花粉症のような気がしたので、今日は抗ヒスタミン剤を飲まずに、恐る恐る1日をスタートさせた。副作用でぐったりしていたのでは何のための薬か分からないから。
 昨日に長男の部屋の片付け。工事スペースを作るのが目的だ。今日は、ベッドの下の荷物、残り半分をすべて取り出した。荷物と一緒に20年分くらいの綿ぼこりが宙を舞った。これじゃ、花粉症が……。窓を開け、綿ぼこりは外へ。とりあえずここまで。
 ルーチンをすべてやって(日記の日付を挽回するのにまだ苦労しているが)、いよいよ執筆モードへ。
 今日は、東京で長女夫妻と次女夫妻が会っている。長女夫妻がソナポケの追っかけでコンサートを聴きに行ったついでに、次女夫妻に茨城から出てきてもらうという計画だ。親があれこれ心配しなくても、こうやって子どもたちが交流して連帯感を強めて行ってくれればとても安心だ。残るは長男だな(笑)。
 だんだん1日が残り少なくなって、今日も体調的には不調というかイマイチ活性化しない。ちび助と同じだ。もっともちび助は病気だから仕方ない。私は単なる老化か。けっ、くそ面白くもない。朝の腹筋と柔軟体操だけじゃ、ダメだな。そろそろ腕立て伏せを復活させねば。

4月14日(日)「ちび助とシンクロ?・・・の風さん」
 3日に1度のちび助の点滴だ。日曜日は午前中しか動物病院はやっていないので、朝から出発。
 主治医はお休みで、他の医者に点滴をしてもらう。ちょっと元気がないので、測温もしてくれた。人間より猫の体温は高めだが、38度で平熱とのことだった。
 帰宅してトーストを食べた。これがブランチで、昼食は抜き。
 長男の部屋の片付けに出動。掃除機を運び込んで、ベッドの下を掃いた。今日はここまで。わずかな作業のように見えるかもしれないが、どんな作業も付帯的なことが多いものだ。今日はとにかくこれで十分。
 執筆の続き。
 予定していたリフォーム会社がやって来た。3年連続になるが、今年の大仕事はガス台の更新だ。新築時のものはもう2世代旧式になっているそうで、安全面で不安がある。最新のものがどうなっているか説明を聞いた。
 3年連続のリフォームを家を建てた系列会社にやってもらっているのは、本体と合わせて保証してもらうためである。自分で勝手に取り付けた機器が故障した場合、機器そのものが悪いのか、工事が悪いのか、家本体が悪いのか、責任区分があいまいになる恐れがある。それを避けるのが私の狙いだ。全体をマネジメントしてくれる会社が必要なのである。ただし、費用は高めになる。
 その後、執筆の続き。
 今日も延々と作業を続けたが、相変わらず絶不調だ。昨日に続いて、抗ヒスタミン剤は服用していないので、薬の副作用のせいではない。毎日頑張り過ぎかも(老体には)。点滴を受けて来たちび助も、まるで私にシンクロしているように、活発にならない。それとも私がちび助にシンクロしているのか。飼い主と飼い猫の組み合わせで元気がないなんて、洒落にもならないぜ。ま、とにかく、頑張らねばならない。
 とりあえず、このまま徹夜はやめて、普通に就寝することにした。

4月15日(月)「やっと復活か・・・の風さん」
 15日といえば、作家としてプロデビューする直前から十数年にわたり、毎月新鷹会の勉強会に通っていた日だ。あの日々があったから、今の私があるわけだが、継続して来られなかったのは、色々な理由があるとはいえ、残念である。
 朝食後、風呂掃除をした。今日も、抗ヒスタミン剤は服用せず頑張りたい。
 続いて、2階の片付けだ。寝室に置いてある、もう使わなくなったソニーのプロフィール(ブラウン管のテレビモニター)を階下へおろした。重たかった〜。後日、町の電器屋さんに捨ててもらうためだ。それから長男の部屋。いよいよベッドを動かして、エアコン工事の作業スペース作りである。掃除機をかけながら、何とか動かすことができた。ワイフにバトンタッチするためには、あともうひと息だ。
 ルーチン後、重要なメールを何通か出したところで、午前中の雑務は終了。
 インスタントラーメンでさっと昼食を終えた。
 抗ヒスタミン剤を飲んでいないが、どっと疲労が出て来た。ちび助も相変わらず食欲がなく元気でない。まだシンクロが続いているみたいだ。
 思い切って休養することにした。
 うつらうつらしただけだったような気がしたが、起きてインスタントコーヒーを飲んだ頃から、不思議と元気が出て来た。
 執筆を再開してみると、集中力が途切れない。
 夕方のホットタイムや晩ご飯をはさんで、午前零時まで執筆ができた。
 書評原稿のゲラが届いたので、一気に終えてしまうため、そこからもうひと踏ん張りした。返送も終わって、就寝は午前2時。

4月16日(火)「初夏のような陽気・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送るため、やや早起き。これがけっこうなダメージになるが今日はどうか。
 ルーチンを処理しながら hairdye 。これは木曜日のセミナーのためだ。老講師よりはいいのではないか。
 午前中に、部屋の片付けの続きと、昨日送れなかったメールを送った。ここまでやけに順調だ。
 昨日、長男からHELPメールがあったので、auショップへ行くことにした。料金の支払い手続きを失敗したとのことだったが、途中で次女へも電話して確認し、結論的には、すべて私の思った通りになっているようだった。トラブルだと思ったのが、案ずるより産むが易しという結果になったみたいだ。
 調子に乗って、ドラッグストアにも寄って買い物をしておいた。
 天気予報は明日は下り坂だが、今日は快晴で気温も高い。初夏のようだ。しかし、ちび助は相変わらずイマイチ元気がない。
 昨夜送った書評のゲラ校正は受理され、決着した。私にしては効率的な仕事だった。気分転換にもなった。
 ところが、ここから疲労が一気に出た。いや、疲労というより、早起きのリバウンドだろう。昨日と同様に、横になって休養し、復活を期することにした。
 気合を入れるため、レギュラーコーヒーを淹れて飲んだ。そして、執筆再開。
 ワイフを迎えに行ったついでに、ワイフの指示で、地元の動物病院へ。サンプルで試したらちび助が喜んで食べたキャットフードを注文してあったので、その受け取りに行ったのだ。色々と目先を変えないと、ちび助は食欲が出ないようだ。
 晩ご飯の後、ノートルダム寺院火災のニュースを見て、執筆に戻ったが、頭痛がしてきた。どうもあれこれとやることが多過ぎて、目が回っているのかもしれない。着実に懸案事項は減っているのだが。

4月17日(水)「冴えない天気・元気・・・の風さん」
 昨日の快晴から一転して曇り。このまま行くかと思ったら、昼前にぽつぽつ降り出した。今日は、寝室のエアコン工事を予定していたのに、できなくなってしまった。
 明日のセミナーで使用するスライドをMacBookAirに入れて事前チェックをおこなった。文章や画像が崩れることもなく、問題なくできそうだった。何度もやっているセミナーなので、リハーサルは不要。それより、名刺がなくなっていたので、また20枚追加印刷しておいた。
 雨がしとしと降っていて、気温も低い。ちび助の食欲がイマイチだったので、とうとう子猫用ミルクを注射器で飲ませることにした。ちび助が元気が出ないと、こちらも元気が出ない。
 ちび助の消化器系の器官は問題ないし、このミルクも嫌ってはいないので、安心して飲ませることができる。ワイフは不安そうだったが、その理由は、注射器を見て恐怖にかられるから、という人間と勘違いしているだけだった。何の問題もなく飲ませることができた。あとは様子見である。
 執筆を再開したが、私も依然として元気が出ない。昨夜はたっぷり寝たはずなのに。
 夕方になり、ちび助を病院へ連れて行く時間になった。雨の中、いつものように出発した。道路がやや混んでいた。
 ちび助はまた体重が微減だった。主治医から流動食の提案があり、とりあえず注文してもらうことにした。サンプルで抵抗がないことだけは確認してある。
 帰宅してからワイフと一緒にアクアの給油に行った。地元のGSで、これからワイフが一人でできるように、第1回目の練習である。クレジットカードを使ったセルフ給油がうまくできた。
 遅い晩御飯になったが、私は相変わらず元気が出ない。明日のセミナー講師大丈夫かな。
 ちび助の食欲が少し出て来た感じ。もう一度、ミルクを飲ませた。ちび助の方が先に元気になるかな。

4月18日(木)「フルタイムでお疲れさん・・・の風さん」
 いつもより早起きし、ちび助にミルクを飲ませ、キャメロンで出発。有料道路と名古屋高速を利用しても、通勤時間帯なので道路は混んでいる。時間的に余裕があるので、スピードは控えめだ。
 予定した時刻に会場に入れた。受講生はまだ誰も来ていない。来たら、今回の受講目的を一人ずつ聞いてみるつもりだ。
 PCのセットは問題なく終了した。前回と前々回の講演では、いずれも初めてのトラブルがあったが、今日は大丈夫だった。
 セミナー開始前までに、受講生全員の希望を聞くことができ、今日はうまく行きそうな予感がした。
 午前中の休憩時間までは、例によって経験談を語り過ぎて、大幅に遅れが生じてしまったが、昼食休憩までに、遅れを挽回できた。な〜んだ、やればできるんじゃん。
 昼食を摂りながら、事務局と交流した。何とかセミナー事業に貢献したい気持ちで一杯なのだが、集客能力が不足しているのは、しょせん私の実力かも。とは言え、ベストを尽くすしかない。
 午後からは、受講生とのコミュニケーションを増やして進めることができた。これは予定通り。受講生は当然私よりかなり若いので、先輩として後輩へ語る感じになる。これが私のオリジナリティだろう。そして、変化点管理の話をしっかりするのも、私の特徴だ。こういった差別化は、ビジネスの基本だが、成功するかどうかは、また別問題なので、やはりビジネスは難しい。
 終了時刻まで、ほぼ私のイメージ通りに進めることができた。受講生からの質問も多く、達成感があった。
 キャメロンで真っ直ぐ家路についた。セミナーはとても疲れるが、電車で帰るより非常に楽である。
 帰宅し、ホットタイムをとる時間もあった。
 しかし、かなり疲労感があるのは、久しぶりのフルタイムワーク(立ったまま)だったからだろう。
 夕食後は、ルーチンだけをこなして、早めに就寝することにした。

4月19日(金)「エアコン工事の初日・・・の風さん」
 8時間睡眠を確保したのに、身体がだるい。疲労が抜けていない。しかし、やらねばならないことは多い。
 先ず、外回りの用事をまとめてやった。
 JAへ行って窓口で質問を2つした後、キャッシュをおろした。それを持って、UFJのATMへ行って、入金処理。さらにJPへ行って、送金処理。ついでにホームセンターで買い物(これはおまけ)。
 帰宅してからブランチ。
 午後、やっとエアコン工事に町の電器屋さんが来てくれた。2階の2部屋分をやるので、今日は、部屋の本体と外の配管と室外機をすべて外す工事のみ。曇りで日差しはなく、風も吹いていたので、作業環境は良かったが、梯子をかけて、大変な作業だった。ずっと立ち会っていたが、途中で休憩をはさんで、夕方までかかった。
 すっかり疲れてしまい、横になって、出かけているワイフが帰宅するのを待った。
 晩ご飯の後、やっと自分の仕事に取り掛かった。執筆が最優先なので、それに集中したが、明日のことも考えて、午前零時で閉店にした。

4月20日(土)「エアコン工事2日目・・・の風さん」
 ゆっくり寝たので体力が戻った感じがする。
 朝食後、ちび助を病院へ連れて行った。今日は土曜日。天気が好いので観光地へ向かう多くのクルマとすれ違う。
 病院はやや混んでいたが、何とか待ち時間30分ほどで呼ばれた。
 ちび助の体重は40g増えていた。前回注文しておいた腎臓病の犬猫のためのサプリメントが届いたので、受け取って来た。人間でいえば透析状態なので、薬がなくて本当に悩ましい。しかし、サプリメントが少しでもちび助の症状を緩和し、点滴のインターバルを伸ばしてくれることを祈るしかない。
 帰宅すると、ちび助はすぐキャットフードを食べに行った。いい調子だ。私が子猫用ミルクを注射器で与えるようになってから、食べる元気が戻ったようだ。この調子でもっと食べて体重を戻してほしい。
 午後、町の電器屋さんがエアコン工事に来た。今日は寝室のエアコンの取り付けだ。2階なので、非常に作業はやりにくい。それでも何とか、途中休憩をはさんで夕方までに完了した。
 夕食後は、私自身が元気を出して執筆だ。何とか気合を入れて、PCへ向かった。しかし、明日のこともあるので、午前零時過ぎにとりあえず中断。

4月21日(日)「エアコン工事が終了・・・の風さん」
 蓄積した疲労が抜けない。朝からのろのろと始動。
 午前中はルーチン程度。昼に卵かけご飯でパワーをつける。
 午後、エアコン工事の3日目である。いよいよ長男の部屋への取り付けだが、3日間では一番楽ではないかと思う。屋外に梯子をかけるスペースが十分にあり、電器屋さんは両手作業ができるからだ。私の立ち合いも楽で、ほとんど何もすることがなかった。
 夕方、無事に工事が終了し、うまい具合にワイフも教室が終わったので、お茶出しをしてもらえた。
 しばし地元の話で歓談し、エアコン工事が完全に終了した。あとは、GW明けに、屋外配管の塗装をやり直してもらうだけだ。これは3色で塗り分けるので、昨年の業者にやってもらう。
 やっと気持ちも少し落ち着いたので、ワイフと投票に歩いて行った。風もなく穏やかな陽気で、平和のありがたさを感じるが、今の時代は、今日のような天気と全く反対の、とんでもない自然災害がいつ起こるか分からないというのが現実だ。
 毎回同じ保育所が投票所で、迷わず投票した。若い時は、誰に投票すべきか判断する力がまるでなかったが、さすがにこの年齢になると、こだわりが出てくる。
 帰宅し、執筆の続きを始めた。調べたいことがあって、こつこつやっているうちに、史料にたどり着いた。NDL(国立国会図書館)のデジタルコレクションの中にあった。
 遅い晩ご飯の後、選挙速報をケーブルテレビで見た。すぐ結果が出そうだったが、なかなか放送してくれず、1時間遅れで判明した(実際は1時間前に確定していたのだ)。
 結果に満足し、書斎へ行き、とにかくやれるところまでやろうと決意して、執筆の続きをやった。
 午前2時にギリギリの妥協点で終了し、出版社へメールした。その後、入浴やら読書やらで、就寝は午前4時だった。

4月22日(月)「日常に戻った・・・の風さん」
 10時半起床。現役でなくて良かった(笑)。
 朝食後、風呂掃除。日常はすぐ近くにある。
 片付けを少しやって、ルーチンをこなした。早くもエネルギー切れ。
 昼食はラーメン。うーん、日常だ。
 著作権使用許可というか2次利用の依頼が2通同時に来た。ついこの間もあったな。課題図書になった作品が、中学の入試に使われたそうで、そうなるとまた問題集に利用したいということになるわけだ。ま、いずれにせよ、拙作は国語の問題を作りやすいようで、非常に嬉しい。昔、子どもだった頃、だから大昔、国語の問題に使われている作品といえば、古典とも言える有名な作品しか思い出さない。あと、難解な評論ね。そういった作品の仲間入りしたことになる。
 楠木誠一郎さんの新刊も届いた。『知らなきゃよかった 世界の大偉人展』(講談社)である。普通の伝記ではない。有名な偉人の裏話ばかり。と言っても、恐らく根拠のない話ではなく、ほとんど史実だろう。作家の視点である。こういう本は好きだ。
 実は、来月出る某月刊誌に書評を書いた。書籍はテオニ・パパス著『数学スキャンダル』(日本評論社)で、数学者の裏話ばかり書かれた本だ。出典もちゃんと示してあるので、やはりほとんど事実なのだろう。西洋の数学者には詳しくない鳴海風だが、非常に興味をそそられた。
 夜は、たまっていた郵便物やメールの処理をした。超多忙の山を越して今日は脱力に近かった。

4月23日(火)「アクアのカタログ・・・の風さん」
 また睡眠不足で起床(世間的には寝坊だが)。頭が重いまま、朝のお務めを着々とこなした。しかし、天気はいいなあ。
 昼は卵かけご飯。
 タイムリミットなので、キャメロンで外出。途中で、準備した郵便物を5通、投函した。目的地はカリチュー。
 7年目のアクアを買い替えることになったので、カタログをもらいに行ったのだ。
 この7年間でアクアのバリエーションがとても増えていて、説明を聞くのに時間がかかった。そして、それらのバリエーションの中から、気になる組合せ(数種類)について、簡単な見積もりを出してもらった。予想した通りの金額になった。恐らく、もっと細部を検討すれば、欲しいオプションはさらに増えるだろう。下取りと値引きがどれくらいになるのかが問題だ。
 来月、キャメロンの車検も予定されていて、その打ち合わせもするつもりだったのに、時間がなくなって、急いで帰った。GW明けに発注したい。早く帰宅できるように、有料道路を使った。キャメロンには一般道より高速道だぜ。
 帰宅してホットタイム休憩をとった後(カタログの解説をしっかりした)、ちび助の点滴に出発する時刻になった。忙しい。
 今日は主治医が休みなので、違う医者に点滴をしてもらった。残念ながら体重は増えていなかった。
 晩ご飯が遅くなり、今夜も疲労で、早めに入浴して寝ることにした。着々と用事は済ませているが、執筆が遅れる。

4月24日(水)「ちび助の食事・・・の風さん」
 起床後の多くのルーチンの中で、最重要項目に位置付けしているのは、最近はちび助へ子猫用ミルクを飲ませることだ。
 腎臓が悪いので、体調万全というか元気溌剌ということはないだろう。気分はいつも低調だと思う。人間なら、それでも食べなきゃいけないよ、と言って納得させられるが、日本語が分からないちび助にはそれは無理。そこで、シリンジを使って飲ませることにした。哺乳瓶があれば良いのだが、病院からは提供されているのは針のない注射器、シリンジである。不味くて飲めないことはないのは確認済みだ。飲ませた後も、吐き出したりすることはない。むしろ弾みがついて、エサを食べることもあるくらいだ。
 あと、昼過ぎに、主治医から推奨された腎臓の悪い犬猫用のサプリメントを、同じくシリンジを使ってほんの少し与える。これはカツオ味か何かついていて、飲めないことはない。ま、薬がないので、薬みたいなものだ。
 そして、寝る前に、またミルクを飲ませる。
 これらの強制的なエサやり(すべて私の仕事)の合間に、ちび助はキャットフードを食べている。体重の現状維持はできているが、何とか元に戻したいものだ。とにかくちび助が元気でないと、こちらも元気が出なくなる。
 今日は、片付けの続きで、長女の部屋から寝室へ私のハンガーを大移動させた。けっこう疲れた。
 夕方から執筆を再開し、就寝前までに、先週書いたところをリファインした。この勢いで、明日続きを執筆するつもり。

4月25日(木)「やはりピンチか・・・の風さん」
 なかなか早起きできない(今さら……(笑))。
 留守番のセキュリティ対策の一環で、Webカメラを1台増設した。現状と同じ機種だが、取説がすべて日本語で、しかも充実した説明! な〜んだ、首振りの遠隔操作できるんじゃん。これで2台になったので、あとは使い方を工夫してより役に立つ形にしていくだけだ。
 昼食の良いタイミングを逃したために、ワイフがラーメンを作ることになった(笑)。手間が省けた。
 宅配が2件あり、1件は再配達。もう1件はクロネコだが、ちび助が迎えに出たので、クロネコ同士が鉢合わせした(笑)。
 今日はやけに(笑)が多いな。現役時代、ピンチの時、焦っている時、トラブルにはまっている時に限って笑顔になる男だった。引退後もその傾向はある。
 今日は体力を使う用事はなかったのに、イマイチ気合が入らず、午後1時間ほど横になった。片付いた寝室で横になるのも良いもんだ。このところ屋内中心で片付けをしたので、屋外……そうだ、草刈りだ、それが気になっているのだ。
 夜は執筆の続き。すいすいはできないが、粘り強くやっていくしかない。

4月26日(金)「出発前日の危機・・・の風さん」
 明日から出かけるのだが、原稿はまだできていない。原稿を先にしていると、必要な雑務が処理できない。こういう場合は、止むを得ず雑務を先にする。
 朝食後、キャメロンで外出。
 スーパーでレギュラーコーヒーの補充購入をしてから、GSへ。自動洗車をしたが、あまりきれいにならない。しかし、出かけるためには必要最小限の清掃は必要だ。その後、プリカを購入して、キャメロンにセルフ満タン給油しようとしたら、マシンの前の客が挿入したクレジットカードが残っていた。領収書も取り忘れ。私もやりそうなボケだ。GSの人に渡してから、満タン給油。徳島まで行くので、往復はもたない。現地で低価格で給油できるだろうか。NY原油先物価格は上昇している。
 帰宅し、昼食後、ルーチン雑務をしてから執筆再開。
 とても夕方までに原稿は遅れそうもない。現実だが、ここでへこたれてはいけない。出版社へ送れる旨、連絡しつつも今夜中に必ず送ると宣言した(こういったビジネススタイルが大事だと思う。出版ビジネスは互いの信頼関係で成り立っているから)。
 夕方からちび助の点滴に出発。3日に1度のサイクルが守れなくなるので、先ず、今夜、点滴をしてもらい、次回は4日後の午前だ。主治医にも事情を話して、次回と次々回の予約をして帰宅。
 晩ご飯を食べた後、執筆を再開。
 マラソンのラストスパートのような真剣さで、とにかく書き進めて行った。
 午前零時過ぎに、ようやくできたので、いつものように体裁を整えてメール添付して送付した。やれやれ。次は、この原稿の全体見直しをしてGW明けに送付し、今年2回目の打ち合わせに臨むことになる。
 旅行の準備は少しだけにして、一刻も早く寝ることにした。

4月27日(土)「10連休初日は高松へ・・・の風さん」
 午前7時に起床するとワイフに宣言していた。目覚ましもセットしてあった。目が覚めて、電波時計の目覚ましをチェックすると、6時59分だった。65年間も人間をやっていると、体内時計はまるで電波時計のように正確になるらしい(笑)。
 しかし、明らかに寝不足だったので、また寝た(笑)。そして、二度目に起きたのは7時50分だった。
 昨夜の就寝時点では、旅行の準備が終わっていない状態だったので、それからけっこう忙しかった。
 出発は午前10時だったが、私たち夫婦の出発はいつもずるずると遅くなる。そして、ものの数分も走ったところで「電気のスイッチを切ったかどうか不安になった」とワイフが言うので、Uターン。スイッチはちゃんと切ってあった。安心して、再出発。
 旅行は2泊3日の予定だ。主目的は、ワイフの中学の同窓会で、場所は徳島市である。淡路島を渡って行きたいというワイフの希望に便乗して、私は香川県の取材をすることにしたので、旅程は1日増えた。20万kmを超えたキャメロンでのドライブも私の楽しみである。
 知多半島道路、伊勢湾岸、新名神とひた走ったのだが、実は、伊勢湾岸の途中で激しい疲労を感じたので、30分間の休憩が必要だった。老人は無理してはいけない。
 自然渋滞が多い中、安全運転を心がけ、大津SAで遅いランチ。混雑時間をだいぶ外したのに、人が多い。シャバは今日から10連休である。大津SAに寄るたびに思い出すのが、退社して最初の旅行(京都)の時だ。青空の下の琵琶湖を遠望しながら、「来週から仕事」とか「連休開けたら仕事」といった予定がない不思議な感覚だ。34年ぶりの不思議な感覚をしみじみと思い出す。私よりもずっと年下の時から会社務めを始めた人や、雇用延長とかもっと遅い定年を経験している人はたくさんいるので、34年など大した年数ではないのかもしれないが、その時点で人生の半分以上というのは、やはり重かった。
 名神高速を経由して、神戸から淡路鳴門自動車道に入った。神戸より先をクルマで走るのは初めてだ。幸い青空で、明石海峡大橋を渡るときの爽快感は最高だった。わざと左端の車線をゆっくり走った。これを望んでいたワイフが大喜びだった。
 観覧車のあるSAに寄った。風が強くて少し寒かったが、大阪湾の眺めが素晴らしく、ここまででも来た甲斐があった。
 淡路島を縦断するのに、思ったより時間がかかった。そして、景色はほとんど山の中。淡路夢舞台国際会議場で学会発表した時のことが懐かしく思い出される。約10年前のことだ。あの頃から自分の人生には看板が一つ増えた。研究者としての顔かな。モノづくり経営学の研究者だな。
 大鳴門橋を渡って四国へ渡る頃は雲が多くなっていた。橋の下を渦潮が巻いているのだろうが、しっかりとは見えない(走っているのだから当然だ)。日没前に四国へ渡れたのは私にしては上出来だった。
 鳴門ジャンクションから高松道へ入り、今夜の宿、あのアパホテルにチェックインした。話題の本もやっと購入できた。
 近所の海鮮居酒屋で晩御飯にしたが、疲労のため、眠くてしょうがなかった。

4月28日(日)「同窓会の陰で花粉症・・・の風さん」
 7時半起床。部屋が狭くてトレーニングはできない。ワイフは酔って熟睡できなかったらしい。
 食べ過ぎないように気を付けたが、バイキングなので、ついつい多種類とってしまい、結果として量も多くなってしまった。
 チェックアウトして出発しようとしたところでハプニング発生。ホテル契約のコインパーキングで、チケットを入れて精算したつもりがガイドバーが降りなかった。そこで、ホテルに電話したら、スタッフが飛んできた。私の領収書を見てすぐ原因判明。駐車番号を間違えて入力してしまったのだ。正しくは2番。間違えたのは22番。そこからのスタッフの対応に感激した。
 持って来たチケットで精算してくれただけではない。私が「22番の人はどうなりますか」と尋ねると、「ラッキーですね」と笑顔で回答。何の問題もなかったようにホテルへ戻って行った。原因の特定、念のために持って来たチケット、私のミスでも笑顔で対処。これはビジネスというか、サービス業の模範的な対応である。私が負いを抱えるのと、私が感動するのと、どちらがホテルが得するかと考えれば、答えは明解だが、そこまでスタッフが考えてできるのは難しい。日ごろの社員教育などが、しっかりされているに違いない。久しぶりにサービス業における「真実の瞬間」を見た!
 その後、香川県立ミュージアムを短時間訪問し、そこから志度町にある平賀源内記念館を目指した。今回は、家内の用事に便乗して、志度町を取材するのが私の狙いだった。しっかり記念館を見学し、資料も購入できた。
 しかし、今日も時間的な効率は悪く、徳島へ向かう時刻になってしまった。取材の残りは明日の帰りに、ということでワイフの了解を得た。
 志度ICから高松道に入り、SAで讃岐うどんの昼食を摂り、徳島市へ向かった。
 ワイフはお義父さんの仕事の関係で、徳島生まれで、高1まで暮らした思い出の土地である。今回、中学の還暦同窓会ということで、厄年以来の再会が楽しみだった。午後2時に徳島駅前でおろしたが、仲の良かった友だちを待ち合わせていた。その後、4時から近くで同窓会が始まることになっていた。
 私は今夜のホテルへ向かい、ちょっと早いので、チェックインできるか不安だったが、運良くチェックインできた。
 ところが、ここで誤算があったのは、予約した部屋が喫煙可能ルームだったことだ。実際に部屋に入ってみると、タバコの匂いが強烈に感じられた。過去の経験では、たとえ喫煙ルームでも、それほどタバコの匂いはきつくなかったのだが、ここは違っていた。
 じきに花粉症が襲ってきた。疲労もあって体力が落ちていると、花粉症が出やすい。こうなると、花粉以外のダストやタバコの匂いもダメなのだ。すぐに、部屋に備え付けてある空気清浄機を稼働させたが、いつ治るか不明だった。
 こうして夕方になっても症状は悪化するばかりで、早めの夕食を摂りに外出したら、一瞬で花粉症が治ったから、やはりタバコの匂いがいけないのだ。
 ホテルの周辺は、ホテルが多く、レストランが見つからず、居酒屋ばかりだった。観光地の特徴かもしれない。やっと見つけた小さなラーメン屋でちゃんぽんを食べ、コンビニでコーヒーを買ってホテルに帰った。
 今夜はワイフの帰還は遅いだろうと、iPhoneで映画を2本観ながら、花粉症がおさまるのを待った。空気清浄機はフル稼働、アレルギー薬もどんどん服用した。結局、映画は2本観た。「トータルリコール」のリメイク版と「スパイダーマン2」である。ストーリー作りの勉強になった。
 ワイフは、2次会から3次会になり、さらに午前零時近くにカラオケの4次会まで突入し、午前1時ころタクシーで帰還した。
 同窓会大好き人間の私からすれば、興奮して帰って来ると思ったのに、意外と冷静だった。

4月29日(月)「目的をすべて達成して帰宅・・・の風さん」
 今朝も7時半起床。部屋はまともな広さがあったので、少しだけ柔軟体操はできた。
 パンとコーヒーの無料朝食を摂って、9時過ぎにチェックアウトした。
 故郷の思い出にひたりたいワイフの希望に沿って、眉山(びざん)にロープウェイで登った。天気は曇りだが、徳島市内が一望でき、ワイフは子ども時代のことを思い出していたらしい。
 還暦同窓会がきっかけになって、私は何度も秋田へ行きながら思い出をたどるようになった。だから、ワイフの感動は想像できる。ただ、私ほど交流できる友だちがいないようなので、これからこういったことが続くのか、ちょっと分からない。
 眉山をくだり、阿波おどり会館でワイフの思い出の焼き餅を食べ、土産を買って、ようやく徳島市を出発することになった。
 昨日の逆コースでまた志度町を訪問した。今度は、志度湾を眺め、続いて、平賀源内旧宅跡を訪問した。生家ではなかったが、ゆかりの場所であり、色々な話が聞けた。帰り際、私が作家であることを離したら、すかさず記念館の館長を呼んでくれ、交流することになってしまった。案内の女性がとても詳しく正確な話をしてくれたと言ったら、七代目の奥さんとのことだった。
 こうして、すべての目的を達成したので、家路についたが、天気が怪しくなってきた。昨日、讃岐うどんを食べたSAで、今日は徳島ラーメンの昼食を摂った。
 淡路島に渡る頃には雨がポツポツ降り出し、本州に戻ると完全に雨、しかも交通量が増え、自然渋滞に。
 途中でコーヒータイムぐらいはとれたが、あとは買い物に寄る時間くらいしかなく、帰宅は午後10時近かった。
 留守番の長女夫妻が迎えてくれたのは嬉しかった。
 ちび助にすぐ栄養ドリンクを飲ませたが、留守の間にまた痩せたのではないか、心配だった。
 疲れていたので、早めに入浴して就寝することにした。

4月30日(火)「譲位の価値・・・の風さん」
 ゆっくり起きたら、朝食抜きで犬猫病院へ行くことになってしまった。
 とは言え、先ずは猫用ミルクを飲ませた。
 3日に1度の点滴が1日伸びた、というより、旅行中は猫用ミルクを飲ませられなかったので、体重が減っているのではないかと心配だったが、案の定、減っていた。数十グラムの減少というと少なく感じられるかもしれない。しかし、おとなの人間に換算すれば、約20倍する必要がある。そして、わずか数日の間の出来事だ。今日から、飲ませる回数を1日2回から3回へ増やして、回復を目指すことにした。
 天皇の退位ということで、儀式をテレビで観た。30年間貫いた考え方(国民に寄り添う象徴)に感動した。勤め人として考えても、30年間ずっと自分の考えを貫くことは大変である。それができたということは、本人の意思の強さもあるが、皇后の支えが大きかったと思う。お言葉の中に「皇后とともに」というのがあったし、壇から降りる皇后に手を差し伸べた姿にも、それが裏付けられている。多くの若い人たちも、良きパートナーを見つけて、支え合って生きてほしいものだ。
 今日は気まぐれ日記の遅れ分を一気に書き上げただけで、あとは休養の一日にした。
 遅い夕食後、留守番をしてくれた長女を名古屋まで送った。
 有料道路はいつもの休日よりもさらに空いていた。日本中が連休の真っただ中にあるのかもしれない。午後11時だというのに、覆面パトが軽自動車を捕まえていたのには呆れた。名古屋では、堂々と逃走する違反車を、何台ものパトカーで追跡して逃げられた報道がこの間あった。事故を誘発するカーチェイスを嫌っているのだろうが、まぬけとしか言いようがない。すぐに停車するすなおな違反車しか逮捕できないのだろう。
 帰宅し、しばらくして午前零時となった。平成から令和へ移行した。譲位という形での代替わりだったので、(天皇の崩御がきっかけの場合と違い)多くの日本人がまるで新年を迎えるような気分になっているのは、とても良いことだと思う。
 1か月前、新年号が令和に決まり、万葉集が典拠だと詳しく知った時、私はとても反省した。なぜなら、歴史作家でありながら、令月(れいげつ)という単語を知らなかったからだ。すぐ調べたら、国語辞典に載っている単語だった。
 大学時代に広辞苑を購入し、本を読みながら、ひたすら広辞苑を引いた。引くたびに単語の横に傍線を書いた。数年後に、広辞苑のページの中に、自分が書き込んだ傍線のないページはなくなった。豊富なボキャブラリーは小説家になろうとする自分を勇気づけた。今回、その広辞苑を二十何年ぶりかで引っ張り出して、探してみたら、当然のことながら令月はあった。そして、傍線は書き込まれていなかった。
 おそらく令月は、100年くらい前までは、知識人の間で使用されていた単語だろう。だから、普通の国語辞典にも載っているのだ。はるか2000年近い昔からあり、近年まで使われていた令月。春が近い旧暦二月のほんのりとした美しい月である。いつか作品の中の、適切な場面で使い、日本の美しい伝統を継承していきたい。その令和にふさわしい時代が始まった。

2019年5月はここ

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